酒と趣味と自堕落な日々

お酒と同人ライフと趣味の世界に浸って、自堕落に過ごす「いとうみき」の日々の日記

2009/05/03

センセーショナルにする程…

マスゴミのみなさんもGW期間に入ってから少しはおとなしくなるかと思ったんですが、全然懲りないですねぇ。新型インフルエンザの話題には事欠かないんですが、マスゴミのみなさんはよほどWHOに警戒水準をフェーズ6に上げてもらいたい様で、ことあるごとに「警戒水準がフェーズ6になるには…」みたいな記事が、いまでも新聞社のニュースサイトを中心にあふれています。全く、人の不幸をネタに飯を食っていると、よりセンセーショナルな方向に話題をふる様になるんでしょうか?彼らにとっては、とにかく警戒水準をフェーズ6にしてもらって、それを自社が一番センセーショナルに報道したいという意識しか働いていないような気がします。何よりも、自社の売り上げにつながりますからね。多分、警戒水準がフェース6に上がったらそれ以上はない訳ですから、次には死亡者数が急増しているみたいな記事が紙面を飾るんじゃないでしょうか?例え、それが微々たる数であったとしても、「昨日に比べて今日は2人増えたから急増」みたいな感覚で。テレビ番組が視聴率と言う数字でしか物事を判断できなくなったのと同様、新聞社も発行部数を上げるためにだけに内容の伴わないセンセーショナルな記事をぶちあげている様に思えます。彼ら自身が俗悪とレッテルを貼ったゴシップ雑誌と変わらない事をしていて、自分たちを正義と称しているのを見ると、こちらとしてはドン引きっすよ。報道機関がやらなければならないのはそのままの情報を提示する事であって、自らの意志を示す事でも、自らを正義とする事でもないと思うのですが、最近の報道機関の皆様はそうとは考えておられない様で。
テレビのニュース番組で「コメンテータ」がいるのは、報道機関であるはずのテレビ局の外にいる人間に意志を示させるためであって、本来であればテレビ局側の人間であるアナウンサーが意思表示するのは許されないはずなんですが、最近はその境界があいまいになっている様でもあります。アナウンサーが自らの意思表示をする=局としての意見の発露が許されるのならば、コメンテータ等は不要になる訳ですが、報道機関としての役目を果たさなくなります。本来は中立不動であるべきはずの報道機関が何かの理由で特定の側に立ったとしたら、それは報道機関としての役割を終えている事になり、単なる宣伝部隊でしかありません。製作している側は緩やかな変化でしょうからさほど変わらない意識があるのだと思うのですが、見ている側からすれば明らかにおかしいと思えるような事が多くなっているのです。最近のテレビ局の視聴率の低下や新聞雑誌の発行部数の減少は、製作している側の人達とそれを受け取る側の人間との間で報道に対する意識の差が極度に乖離してしまった事にも一因があるんじゃないですか。制作側がセンセーショナルにかき立てればかき立てる程、受け取る側は冷めてしまってますからね。

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